3.11の記憶を思い出しながらメモします。写真はありません。
3.11 地震発生、最初は大したことはないと思ったが、次第に強くなる。
永久に終わらないような気がした。建物も崩れて下敷きになると思った。
3.11直後:UPSが非常音発している。
止めておけば携帯位充電できたのに!!と後で気付く。
水道は未だ出ていたので、水は大丈夫と思った。
実際は、屋上のタンクに残っていた分だけで、すぐになくなった。
明日は、宇都宮でスタジオセッションの予定。
行けるかどうか悩んだが、まったく無理だった。
事務所内は、本棚や観葉植物が倒れた程度で、壊れたものは
なかった。
3.11夕方:来客2名を市内実家までクルマで送ろうとしたが、まったく動けず。
近くのホテルに避難してもらう。
会社前のコンビニで食料買おうと思ったら長蛇の列も、何とか
買えた。
そのうち、電気はつくだろうと思い込む。
この段階で、ラジオしかなく、情報わからない。
懐中電灯抱えて、ホテルまで様子見に行く。
来客2名はホテルからの差し入れを食べていた。
3.12 : 宇都宮行き中止。行ける訳がない。
ホテル予約のキャンセルできない。
携帯電話全く通じない。が、会社の固定電話がアナログ式で
小音量ながら使える。
ずっと事務所にいて、知り合いに電話するが殆ど通じない。
都内友人と電話が通じて、キャンセル頼んだが、全部自動
キャンセルされていた。
夕方暗くなってきたので、近所でおばあちゃんが一人でやってる
小料理屋の安否確認。
内部はかなり壊れていたが、「お湯が沸かせるから、お湯割り
飲んでって!!」
こんな時なのに、飲んでしまった!
余震が続いていて頻繁に揺れる。
3.13 : 宮城や岩手の友人、実家などとは何とか連絡とれて無事を確認。
市内海岸地区に住んでいる友人と連絡つかない。
会社向かいのホルモン居酒屋が突然営業始める!
東京本社から水・食材を運んできたらしい。
在籍社員全員で食べ(&飲み)にいく。こんな時なのに
連日飲んでていいのか?
3.14 : 米子出張中止。
3.15 : 電気復旧。やっとテレビからの情報が得られた。
この頃は全員事務所に来て、全員で買出し&水汲み。
近くの川でトイレ用水を汲もうとしたが、汲める場所がない。
日立北インタ近くで汲める場所を見つけ、毎日数往復して
社員宅へ水配達。
東京にいる娘「川で水汲んでる」と話したら、
「危ないから絶対ダメ!!!」
と怒られた。でもトイレ流すのに必要。
3.17 : 都市ガス復旧したが、これまでの生活の戻れないように思えてくる。
市内の銭湯で営業始めたらしいと聞いて行ってみるが、数時間待ち。
あきらめた。
3.18 : 水道復旧。水が未だ赤い。とにかくシャワー浴びた。
3.26-27 : 新幹線で青森へ行く予定だったが、無理、中止。
日立駅は再開様子なし。